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石田 敦子(いしだ あつこ、1963年8月9日 - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、漫画家、イラストレーター。広島県福山市出身、血液型A型〔石田敦子ホームページ プロフィール ※閉鎖〕。 == プロフィール・作風 == 高校1年生当時、安彦良和が描いたイラストが表紙になっていた『アニメージュ』を書店で見たことをきっかけにして、アニメ業界を志す。高校卒業後は福祉関係の専門学校に入学したが4か月で中退し、1983年1月にアニメ制作会社カナメプロダクションへ入社。アニメーターの金田伊功は憧れの存在で、カナメプロダクションではいのまたむつみに影響を受けたと語る。 1988年、カナメプロダクションが倒産する約半年前に退職して〔石田敦子Twitter 2010年11月17日 〕、フリーランスへ転向〔『いまだから語れる80年代アニメ秘話 美少女アニメの萌芽』 ※137ページ (洋泉社)〕。作画監督は『伝説の勇者ダ・ガーン』、キャラクターデザインは『勇者特急マイトガイン』がそれぞれ初担当作品。『勇者特急マイトガイン』の仕事で注目され、アニメ雑誌で特集を組まれる人気アニメーターになった。 アニメーション監督としても知られるアニメーターの大張正己は、元夫。南町奉行所を退職した大張の新たな拠点「スタジオG-1」の立ち上げにも参加しており、そこで共に数作品の作画に関わっていた。大張との離婚の経緯は単行本『りこん猫』に記されているが、執筆当時は彼の名前や顔などを出して良いものかと悩み、離婚済みの大張に「大丈夫だろうか?」と相談したところ「別に問題ないよ」とあっさり返されたため、逆に石田の方が拍子抜けしてしまったというエピソードがある(作中では「O君」とイニシャル表記になっている)。 プロ野球球団の広島東洋カープのファンで、野球に博識な伊集院光を神格化している。代表作の1つ『球場ラヴァーズ』が縁で、2013年8月28日にはMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で始球式を行っている〔『球場ラヴァーズ -私を野球につれてって-』第2巻P162に掲載された「始球式のこと」によれば、4月にも球団側から打診があったものの、自分自身が目立つことは嫌だということで断っていた。しかし、少年画報社が「ムリにでもやらせなきゃ」ということで、作者自身の意見を聞かずに実現させた経緯がある。〕。 2000年以降はアニメーターとしての一線からほぼ退いており、漫画家としての活躍が目覚ましい。漫画家としては1980年代以前の少女漫画の影響が強く、ざっくりとした荒い描線と、リリカルで重たいストーリーが強い特徴となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石田敦子 (漫画家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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